考える練習 その三
第三回目の考える練習
今日は考えるとは
そもそも何なのかについて!!!
考えるとは知識の価値観を捨てることである
思考することにおいて自分が持っている知識の価値観は邪魔でしかないということである。どういうことかそもそも知識の世界と思考の世界はまったくのべつものとかんがえてほしいということである。知識の世界とは正解の既に存在し、やり方も確立されている世界のことである。逆に思考世界ではそもそも正解が一つということはなく無限に存在しときにと場合により変わってくるということである。
だがしかしそもそも人は知っている知識のなかで考えていくのは当たり前である。だからその知識に頼って考えるためどうしてもバイアスがかかってしまう。
つまり考えるときに正解は一つではなく状況に応じて変わってくるものと認識することが大切である。各々の状況において問題に対しての問い方を変えていくことが柔軟な思考につながるのある。
考えるとは常識という言葉使わないことである
よくひとからなぜですかと問われると「これくらい常識でよしょ」とか「これ分からないとか非常識じゃない」とか平気で使いますよね、しかしこのことばそもそも自分がなんでそうなのかはっきりわかっていないからこのことばを使って逃げているだけなんですよね。このことばをよく使う人は自分でよく考えてない人ということがすぐにわかります。いままでそうやってきたから、他の人がやってきたから、これは考えていな人のセリフです。けどここでさらに深く聞くかどうかを皆さん次第です。それについて答えてくれそうな人なのか、ただ頭が固い人なのか、状況によって変わりますよね、状況によっては場を悪化させてしまう可能性があります、そういうときは長い目でみれば避けることをお勧めします。これもまた己で考える第一歩かもしれません。
考えるとは正解を求めないことである
自分で考える人は人から意見をもらってもアドバイスを鵜呑みにすることありません。どういうことか意見とは解釈は人それぞれでじぶんがどう動くかはそのひと次第ですよという位置づけで、アドバイスとはこうすべきだという踏み込んだ助言をすることである。つまり人から意見は聞いてもアドバイスは聞かないようにしましょう、たとえ聞いたとしてもそれはその人の価値観であって必ずしも自分に当てはまるわけではないので注意しましょう。大事なのは意見をきいてその状況にあった自分の答えをだすことです。
考えるとは動的であるといことである
逆に静的であるとはどういうことかというと決まった規則、習慣、常識などである簡単には変わらないルール重視ことであるいわゆる頭固い人のやりかたである。動的とは当たり前を疑いなぜかと問うことができる人間である。一つ注意してほしいのがこの先書いていくとにもつながりますがこの考えるという行為のつかいどころには気を付けてください。スピードが求められる現場の作業においていちいち考えていて全体の作業を遅らせることはかえって非効率なので慎重に、、、
勿論考えるという意識は非常に大事です、むしろそれが成長につながり柔軟な発想へと結びついていくに違いありませんから。ただ、たびたびでてきますが、状況次第です。
なんか言うんだと思ってるかもしれませんその状況ってなんだよと、、このモヤモヤを自分でいろんな状況を想定していろんな答えを探していくそれが考えるということです。少しわかったのではないでしょうか。この記事でも前回も書いていますが答えは一つではない一つに決めない正解、不正解を分けないこれは意識していきましょう。
答えが出た時もこの状況だからこの答だったんだくらいに捉えましょう。
今日は考えるとはの四つ説明してみました。つぎもこの続きで考えるとは何なのかをさらにかいていければいいなと思います。
それじゃ、また!!! 今日も元気に生きましょう!!