考える練習 最終回
考える練習最終回
今回で八回目となる考える練習の記事も今回で最終回となります
今回は考えるときに気を付けてほしいことについてはなしたいとおもっています
では早速いきましょう!!
孤独に耐えることができるか??
考えるとは他人とは違うことをすることであり
考えている人からは考えていない人が見えるが、逆に考えていない人から考えている人をみることはできないマジックミラーの状態になります。
ですので自分の考えていることを説明するときには具体的に、わかりやすく説明することをお勧めします。
考えるにいたったプロセス、例などを使うといいでしょう
悩みを増えることになるが
考えるとは正解のない問題について考えることになります、
たとえ正解に近づいたとしてもそれは状況に応じて
違った回答になることも往々にしてあり、
加えて、だした答えがこれでよかったのか他にもやり方があったのではないかと考えてしまうことも増えてくると思います。
また、一度見えてしまったものをなかったことにすることはできません、見えてしまった人が見えていない人に説明しようするのは非常に大変なことです。
だから考えることが楽しいことばかりではないことも知っておくべきでしょう
判断が遅くなる??
考えるとは人の言ったことに対していったん待ったをかけて、自分で「なぜ??」と
問うことから始まるため決断というのはどうしても遅くなりますが、もちろん何も考えないよりは全然いいです
ですが、考えすぎは実際のところ思考停止の状態で考えていない人と同じ状態といえます、かんがえるは後戻りの回数を減らすためにあるものです
例えば、試験のときいきなり大問一から解けば確かに速さでは一歩リードできるかもしれませんが、一度立ち止まり自分が得意なところ、解けそうなところを考えて時間配分に少し時間をかけてから解く方が効率は断然いいと思います。
その時間配分を決めるのにいちいち時間をかけてしまって問題が解けなければ結果的に何もしていないで解けていない人と同じことになります。
このように、思考停止の状態にならないようにある程度でめどをつけることも大切です
使いどころを間違わないで!!!
今までお伝えしてきたこの考えるということに関して、正解、不正解はなくすべてが状況次第であるとお伝えしてきました。
そしてこの考えるという行為は何か計画を立てたり、議論するがでは有効であるが、
実際、計画の実行や現場での作業をしている段階においては不必要であるということ。
計画は論理的に全体を俯瞰する=視点を変える
実行の段階では非理論的な心理=人間の感情の部分を理解することが大事
つまり日頃からどこでも考えるということが有効であるわけではないということを覚えててほしいですね。
他人が信用できなくなるかも??
なぜかというと考えるとは人の言うことに疑問をもち違う自分の意見をだすことである
考えるために人のことを疑ってかからないといけないので、それにより人を信用できな
るの仕方ありません。
しかし以前も説明しましたが何もすべて疑問にすることはありませんアドバイスは疑っ
てかからないといけませんが、ひとからの意見というのは参考にしていいわけです。
参考にしたうえで抽象化し、新しく自分なりの解釈にすればいいわけですので
ただ、上司や、先輩というのはそこではすくなくても自分たちより働いている
方々なので、ポイントとしてはその人たちから、事実を学ぶことは多いに大切だがそ
こからの解釈は人それぞれと思うくらいがちょうどいいということです。
いかがだったでしょうか???
かなり長い話で皆さんも大変だったことでしょう。
最後までお付き合いいただきありがとうございます。
この考える練習は自分の人生をより豊かにするためのものです、決して人へのいやがらせで疑問をすぐ抱いたり、違う意見を出すといったことではありませんので注意のほどお願いします(笑)
これから考えることで皆さんの人生がよりゆたかになり、発展することを心から願っております!!
これからも自分が得た知識を随時発信していきたいと思いますので、ぜひともよろしくお願いします!!!
考える練習その七
考える練習その七
おそらく今回の第七回目を含めてあと二回となりました。
今日は論理的思考についてと
抽象と具体の往復が考えることであるということについて話してこうと思います。
論理的思考とは
考えることの基本動作である
論理的でない人の逆の人は一貫性がないつまり思いつきで行動するひとのことである
論理的とは目に見えない事象と事象の関係性をつなげることである。
考えるうえでの基本動作として
複数の具体的な事象があったときそこから複数の一般法則を導きだしその法則からまた新たな複数の具体的事象を導きだすことである。
この前半のこと帰納的推論といい
後半のこと演繹推論(えんえきすいろん)という
ことばむずいわと(笑)まあこの言葉はあんまりきしなくていいですね
日常に生かすなら
大事なのは考えるとは目の前にある具体的な課題を抽象的課題にまとめてそこから
具体的な解決策を導いていくこの一連の流れのことである。
今この具体的とか抽象的とか出てきましたが
この具体と抽象の往復が考えるということなのです
具体的とはみんなにもわかりやすい、イメージしやすいもの
だからみんなよくわからないときは
え、、もっと具体的にいってくれない?、、と聞き返すでしょう
逆に抽象的というのは複数の事象をまとめて扱い、見えない共通点を探して、パターン化するため非常にイメージーしづらいものです。
よく会議などで人の意見が抽象的なとき
「そうはいってもさ、こういうときはこうじゃない?」とか具体的なことで反論するひといたりしませんか??
そもそも複数事象をまとめて扱ってる抽象的表現に対して具体例で反論するのは議論がかみ合わない原因になりますね。
論点だけを絞った結果が抽象的なものなので、そこに具体的なもので反論するのは何も考えられていない証拠です。
そんなひとがいたらこれからは心なかで笑ってやりましょう。
考えるとは極論を言うことになります
極論とは複数の事象を一つの抽象化した事象にする具体から抽象の流れでかんがえることだからです。
例でいうなら
日本人は謙虚だと一言であらわしたとします
これは日本人のほぼ大部分にあたることではありますよね、
ほめられたときに「いやいや、そんなことないですよ」とこたえる
けどなかには自信満々の日本人がいても不思議ではないですよね
もっといろんな日本人がいるのは重々分かったうえで
それでも大部分にあてはまることだからひとまとめでいうなら謙虚となるだけなのです。
なぜか?と問うこともかんがえることである
この なぜか?と問うことは本来の上位目的を明確にし見えない事象をつなげることだからです。
過去→現在→未来
過去と現在は過去の原因とそれによる現在の結果がつながったものです
現在と未来は今ある手段とその本来の目的をつなげたものです。
つまりこれを就活の自己分析に当てはめるなら
自己分析とは過去の自分の経験や分岐点の原因(この場合、原因はいい意味も悪い意味もふくみます)を把握して
現在の自分のできていることを知る
そしていまの自分が何をしていきたいのか目的を明確にすることだとおもっています。
これは就活生には参考になることだとおもうのでこれを意識して自己分析をしてみてはいかかでしょか。
考える練習その六
考える練習その六
今日は考えるとは見えないものを見えるようにつなげることであるという題目で行きたいと思います。
では早速いきましょう
見えないものをつなげるとはどういうことなのか??
それは自分が日頃見ていない視点に立ってもの事を見るようにするということです。
要は自分以外の視点に立つということです。
具体例で説明していきます あざます!!!
とその前に
いきなりですが
皆さん今から紙とペンを用意してみて下さい
今から言う質問に10秒で答えて下さいね!!
いきます
今自分の家の中にあるものなんでもいいですそれを10個挙げてみて下さい!!
挙げるまで下にスクロールはなしで(笑)
挙げましたか??10個ならすぐに見つかったのではないでしょうか??
ではもう一つ質問いきます
今自分の家にないものを10個挙げてみて下さい!!!
10個挙げるまでスクロールは無し(笑)
ではこの質問の趣旨を話していこうと思います
ここで質問にちゃんと答えていない人はあんまりここから先を見ても実感わかないと思うので答えましょうね!!
二個目の質問皆さん結構難しかったのではないでしょうか??
自分もこれを最初にやったときなぜか苦労して出した覚えがあります(笑)
なぜ苦労したのかそれは一個目の質問は見たものをそのまま答えたらいいのに対して二個目の質問は想像力を働かせないといけないからです。
おそらく二個目の質問を考えるときに自分が絶対持ってない高価なもの、自分が男性なら女性ものを考えたり、またはその逆もしかり、さらには外をうごいているものであったりいろいろかんがえたのではないでしょうか??
想像の仕方はほんとに多種多様だと思います。
この二個目の質問は実は考えることの基本動作なのです。
つまり自分の視点でなくちがうものの見方をして答えを探していくこれが見えないものを見ようとするということです。
実際にいま皆さんは家にはないつまり見えないものを想像力によってみようとうするし視点を変えることによってみようとしましたよね。
何回も言いますが、これが見えないものを見ようとするつまり視点を変えて考えるということです。
具体例をもう一つお伝えしていきたいと思います。
皆さんよく忙しいときにTO DO リストなんか作って作業効率を上げようとするのではないでしょうか??
これは非常に大事です
しかし皆さんやることリストは作るのにやらないことリストは絶対つくらないですよね
そんなのあたり前じゃないかと、やらない、、つまり見えないことにリストが必要かと
自分もそう思ってましたが
やらないことリストは今はまだしなくてもいいものをはっきりさせるために有効ということです。
よくやることが多すぎて、やることリストが大変なことになってかえって生産性、集中力がさがることが多々あるのではないでしょうか。
やることリストは未来のことに目を向けるから生まれるものです、それが遠い未来であればあるほど、多くなります。
だからやることリストの書きすぎは逆に生産性をさげることにつながってしまうので直近でやることだけにするのがよいでしょう。
もしメモだけして書いておくならその直近のとこにはやらないことリストとして書いておくことをお勧めします。
そしていざやらないといけないときがきたら、やることリストにいれてあげたらいいのです。
少しことばをまとめてみるとこんな感じです
・こっち ・向こう
・主観 ・客観
・手段 ・目的
・根拠 ・結論(結果)
・現在 ・未来
(目に見えるもの) (目に見えないもの)
自分視点=今の延長で 相手視点=応用範囲が広がる
しか考えられない
なにか商品を買ってもらい顧客がいたときに自分視点だと値段を下げるといった誰でも考えられる交渉しかできないが、相手視点にたてば顧客が欲しい特典を加えて付加価値をつけたりしていける。この発想は自分視点では決して思いつきません。
勿論これがだけがすべてではないので、ご了承を(笑)
なにがいいたいかという上のようにまとめた内容を右から左の向きで考えるようにしてみて下さい。目的を考えてから手段を選ぶ、結論や結果からその根拠はなんだったのか
未来を予測して今すべきこととそうでないことの判別をつける。
これが見えないものつなげて見えるものにしていくということです。
大事な意識として自分が普段見ているもの考えていることはしょせん一部分でしかないということです。
四角錐を想像してくださいその底面からものを見るのではなく
考えるときは四角錐の頂点から全体を見ようと意識するのです。
すると安易に人のいうことを鵜呑みにせずいったんストップして考えることもできるようになると思います。
日頃からこれはくせづけていけば考える練習になるのではないかとおもっています
いかかだったでしょうか??
見えないものをつなげるこのあいまいで抽象的なことを少しでも理解していただけたら幸いです。
考える練習次回もこの続きを話していけたら思います。
では、今日も頑張っていきましょう!!!
考える練習その五
考える練習その五
今日は前回の続きで考えるとは何なのかについてもう少し話していこうと思います
今日は考えるとはリスクを冒すことである、数字で判断しないことである、並ばないことである、ちゃぶ台返しをすることである、自由であることである
この五つの項目でいきたいと思います
では早速いきましょう。
考えるとはリスクをおかすことである
人は良く物事を判断するときにリスクについて考えることがよくあるそしてこのリスクはたいていマイナスのイメージを持つことが多いがリスクの解釈の仕方としてリスクはあくまでも変動幅が大きいいととらえてみるといいかもしれない。変動幅が大きいということは自由度が高いともとらえることができる。
なぜならリスクゼロというのは正解が確定していて制約や条件が必ず後ろ盾にある
この状況は決して自由度が高いとは言えないからである。
考えるとは数字で判断しないことである
ビジネスの世界では知識教や数字教のようなひとが必ず存在する、ビジネスは数字命とか知識をつけて一人前とか、もちろんなんでも直観でものをいう人に比べたら数字を使い理論的に説明することは非常に大切なことである。
むしろ重要なスキルといえる。
しかしイノベーションの分野つまり創造性を必要とする仕事においてはこの数字で判断するということは考える上ではおおきな障害になることがある。
なぜかというと数字は物事の判断基準指標が一通りしかないからである。
わかりやすく言うと数字という実数を探すのではなく、いろんなパターンを考えられる変数を探していくことが考えるということである。
考えるとは並ばないことである
皆さんは人気のお店で行列に並んだ経験はあるだろうか?
一度くらいあるのでは(笑)
列があったら自分はみんなと同じようにならぶのかそれとも列にならぶことを疑いもっと効率のいい戦略を考えるのかこれは考える人と考えない人との違いである。
別の例でいえばバイキングに行ったとき、たくさんの料理をまのあたりにしてとりあえず欲望のままに皿をもって並びにいったりすることはあるのではないしょうか(笑)
このとき確かにみんな並んでるかもしれないがいったんみわたせば何がおいてあるのか自分の好きなものがどこにあるのか、もしかしたら新しい食べ物がででくるかもしれない、少し立ち止まるだけでも見えるものは多くある。この見えるという現象は見えない人の立場からでは絶対に認識することができないマジックミラー状態である。
これは別にバイキングに限った話ではないんですよね、仕事においても日常においてもなんでもです。
よく切羽詰まってるとみえなかったものが一度立ち止まってみると見えたりする感覚と同じですね。
考えるとはちゃぶ台返しをすることである
ちゃぶ台に上がった問題について考えているとするとき
みんなはその問題についてか考え始めるが
考える人はそもそもこの問題はとそこに疑問をもち問題考えるうえでの上位目的について考え始める、根本原因を探し始める。
これが問題にあるちゃぶ台をひっくり返すということである。
与えられた問題について考えるときはそもそもこの問題はと一度振り返ることでそのもんだいの本当の目的が見えてきたりする。
考えるとは自由であるということである
自由であるこれはあくまでもじぶんのだけのことであることに注意してほしい
外的環境による制約、条件は様々あるが一人で考えるということに関しては全員が自由におこなえることである、逆に変えられないもの(他人、過去)といったものに対象が向いたときそれは思考を放棄しているのと同じである。
なぜか、、自分が他人の行動をかえることは決してできないからである、あくまでも本人が動こうと意思をもって動こうとするときだけ変われるのである。
過去に関しては過去の意味付け解釈の仕方はかえることはできるがそもそも起こった事実や出来事をかえることはできない、いちいちそこに目が向いている人は思考が止まっている人である。
そんな暇があったら次どうするか、どうやったらうまいいくか、今のその先を考えるほうがよっぽど重要である。
いかがだったでしょうか?五本立てで今日は行いました。
考えるとはなんなのかについて少しでも新しい視点を持っていただけたなら幸いです。
次回は思考するときの頭の状態、基本動作などを話していけたらと思います
では、また今日も元気に生きていきましょう!!!
■
考える練習その四
第四回の考える練習は考えるとは自ら動くこと、変化を起こすこと、なくても何とかすること、モヤモヤに耐えること、空気を読まないことの五本立てでいきます。
考えるとは
自ら動くことである
自ら動くの反対は人から言われて動くことである。人から言われて動くということは自分では何も考えていないから行動にうつせないということです。そもそも考えるとは能動的で他人から強制されるものではありません。
ひとからよくこうやって考えろとか
こう考えるんだ
みたいに言われた経験ありませんか?
これはそもそも他人のいっていることを人に強制させてるだけであって決して本人の能動的な考えるという行動につながっていないのです。
逆にアドバイスを求めにいったときに向こうから質問してもらい
たとえば どうやったうまくいくと思う?
何が原因だと思う?など
聞いた本人に能動的に考えさせる質問をできる上司や先輩というのは非常に優秀なかたと考えるという側面においてはいえるのでしょう。
考えるとは変化を
おこすことである
逆をいうと変化しないとは現状維持のことで以前に成功例のあるやり方、すでに答えのあるやり方を再び行うということです。
それが悪いというわけではもちろんありません。が解が一つである以前のやりかたとまだ見ぬ無数の可能性のある解を探していくやりかたどちらが考えているかはわかることだと思います。現状維持ではなく変化を起こしてくこれが考えるということなのです。
考えるとは
なくてもなんとかすることである
これはいまある(情報、予算、時間)などでできる最善策を仮説をたてながら進めていくということである。仮説をたてることができればあとどのくらいまでいけばいいかおおよそのめどをたたせることができ具体的にステップを踏み効率よく進めることができる。が逆にいつまでもないものねだりしているひとは具体的なことをきいてもめどがそもそもたってないので、それはこれから考えるといった具合に全く進まないことになります。これは考えていない人におおい傾向があります。
この仮説をたててみるというのは非常につぎのステップに移行するうえで大事になってきますね。
仮説ですから間違っていいんです。 間違うからこそえらるものは必ずありますし考えてない人よりもよっぽど頭が鍛えられ、これから考える場面がきても仮説をたてる習慣があれば対応することもできます。
考えることに正解、不正解はないのですから。
考えるとは
もやもやに耐えることである
正解か不正解かもわからない上に、正解らしきものがだせてもこれでほんとによかったのかとかいろいろ考えますよね、それが考えるというとなので心配いりません
ただし考えるとはその状況によってかわる解を探しにくわけですから、すっきりしないことのほうが多いです、だからそれに耐える覚悟いこうということです。
でも人間は頭を使って考えることが許されてる動物なので、それをフルに使って自分の人生を豊かにしていきたくないですか??
もしかしたらこうやって悩んだり、もがいたりすることも実は幸せなのかなともおもったりしますね(笑)
考えるとは
空気を読まないことである
飲み会や友達との食事など複数人で集まるときに皆さん空気を必ず読みますよね
しかも無意識に直観的に(笑)、、、これはその場の空気を壊さないためにも非常に重要なことで大切なスキルのひとつでもあります。
しかし空気を読むということは他人の言ったことに対して同調し合わせているというになります。これは実はじぶんでは考えておらず他人にあわせているのです。
考えるとは他人の意見や言われたことを鵜呑みにはせずに
違う自分の意見を出すことです。
だからこの他人に合わせるという行為は考えるという行為から最も遠い行いということになります。
もちろんその場で口に出して自分のことを言う必要はありません。
場がぶち壊れますからね
大事なのはその場でも自分ならこうするのになと考えれば大丈夫です。
そうやって日頃からくせをつけつことで思考は進化していきます。
どうだったでしょうか
今日は五項目お伝えしました。
考えるとは大変なことも多くありますがこれはあくまでも自分が豊かになるために使うものということを忘れないでください
それをはき違えては本末転倒になりかねませんので(笑)
次回もこの続きで書いていこうと思います
ではまた!!
今日も元気に生きましょう!!
考える練習 その三
第三回目の考える練習
今日は考えるとは
そもそも何なのかについて!!!
考えるとは知識の価値観を捨てることである
思考することにおいて自分が持っている知識の価値観は邪魔でしかないということである。どういうことかそもそも知識の世界と思考の世界はまったくのべつものとかんがえてほしいということである。知識の世界とは正解の既に存在し、やり方も確立されている世界のことである。逆に思考世界ではそもそも正解が一つということはなく無限に存在しときにと場合により変わってくるということである。
だがしかしそもそも人は知っている知識のなかで考えていくのは当たり前である。だからその知識に頼って考えるためどうしてもバイアスがかかってしまう。
つまり考えるときに正解は一つではなく状況に応じて変わってくるものと認識することが大切である。各々の状況において問題に対しての問い方を変えていくことが柔軟な思考につながるのある。
考えるとは常識という言葉使わないことである
よくひとからなぜですかと問われると「これくらい常識でよしょ」とか「これ分からないとか非常識じゃない」とか平気で使いますよね、しかしこのことばそもそも自分がなんでそうなのかはっきりわかっていないからこのことばを使って逃げているだけなんですよね。このことばをよく使う人は自分でよく考えてない人ということがすぐにわかります。いままでそうやってきたから、他の人がやってきたから、これは考えていな人のセリフです。けどここでさらに深く聞くかどうかを皆さん次第です。それについて答えてくれそうな人なのか、ただ頭が固い人なのか、状況によって変わりますよね、状況によっては場を悪化させてしまう可能性があります、そういうときは長い目でみれば避けることをお勧めします。これもまた己で考える第一歩かもしれません。
考えるとは正解を求めないことである
自分で考える人は人から意見をもらってもアドバイスを鵜呑みにすることありません。どういうことか意見とは解釈は人それぞれでじぶんがどう動くかはそのひと次第ですよという位置づけで、アドバイスとはこうすべきだという踏み込んだ助言をすることである。つまり人から意見は聞いてもアドバイスは聞かないようにしましょう、たとえ聞いたとしてもそれはその人の価値観であって必ずしも自分に当てはまるわけではないので注意しましょう。大事なのは意見をきいてその状況にあった自分の答えをだすことです。
考えるとは動的であるといことである
逆に静的であるとはどういうことかというと決まった規則、習慣、常識などである簡単には変わらないルール重視ことであるいわゆる頭固い人のやりかたである。動的とは当たり前を疑いなぜかと問うことができる人間である。一つ注意してほしいのがこの先書いていくとにもつながりますがこの考えるという行為のつかいどころには気を付けてください。スピードが求められる現場の作業においていちいち考えていて全体の作業を遅らせることはかえって非効率なので慎重に、、、
勿論考えるという意識は非常に大事です、むしろそれが成長につながり柔軟な発想へと結びついていくに違いありませんから。ただ、たびたびでてきますが、状況次第です。
なんか言うんだと思ってるかもしれませんその状況ってなんだよと、、このモヤモヤを自分でいろんな状況を想定していろんな答えを探していくそれが考えるということです。少しわかったのではないでしょうか。この記事でも前回も書いていますが答えは一つではない一つに決めない正解、不正解を分けないこれは意識していきましょう。
答えが出た時もこの状況だからこの答だったんだくらいに捉えましょう。
今日は考えるとはの四つ説明してみました。つぎもこの続きで考えるとは何なのかをさらにかいていければいいなと思います。
それじゃ、また!!! 今日も元気に生きましょう!!
■
前回のその一の記事最初にのせるので読んでね
考える練習その二
今日は第二回目ということで前回のつづきで考えるとはみっつの領域を考えていくということ、正解と不正解をわけないこと、そしてトビウオと深海魚の三本立ていきます。
三つの領域とは
それは大きく分けると知らないことと知っていることの二つにわけられ、知らないことは知らないことを知っていると知らないことを知らないの二つに分けられて合計三つであるということです。一つずついきましょう。
まずは知っている領域これは皆さんが持っている知識、趣味のことなどじぶんが知っていることを表します。ひとが何かをしゃべるときは大体ここからはなすことがほとんどです。
次に知らない領域の二つのうちの知らないことを知っているについてですがこれは
たとえば海外旅行にいくとしたときに私あんまり海外のこと詳しくないんだよねとか飛行機ってどこが安いのとか知らないんだよねってよくある会話だと思います。いわゆるこの状態のことを表しています。これが知らないこと知っているということです。だから知っている人に聞いたり、ネットで調べたりするといった行為にステップしていくといういことです。
ここまでの二つは日常でよくあることだと思います。最後に知らないことを知らないとはここが一番厄介であると同時に考えることで一番意識しないといけないことだと思います。まあ難しい話ではないのでいきましょう。
知らないことを知らないこれはそもそもそれに気づいた時点で知らないことを知っているの領域へとステップしていきます。何がいいたいかというこの知らないことを知らないに気づくためには自分が無知の知であること自覚するということです。
自分が分かった気になっているとき、理解した気になったときひとから言われたことを素直に聞きますか?そんなこと知ってるから次にいけと思うことありませんか。これは一番考える人から遠く離れた行為でいわゆる頭が固い人のことを指します。勉強は基礎が大事を嫌というほど聞かされた経験あると思います。そのときにそんなのわかってるはというひとと、それがなかなか難しいんですよねという人の違いがここに現れています、前者は知らないことを知らない状態、後者は知らないことを知っている状態です。じぶんが謙虚に素直に基礎をわかろうとうするからこそここに気づくことができるというわけです。そうすることで基礎で大事ことは何だろうとか勉強してくうえで勉強いがいのことも例えば生活習慣とかも含まれるのかといろいろ考えることにつながります。
この基礎も人によって解釈はバラバラでいいと思います。それが考えることなんですから。
きづけば一瞬で知らないことを知っている状態に移れます。ただここにたどりつくためにはじぶんが頭の固い人ではなく柔らかい頭になりましょうということですね。
次に少し出てきた解釈はバラバラでいいというところの話につながるといっても同じことなんですが、考えるとは正解と不正解を分けないということについて話していこうと思います。
いままで皆さんが生きてきた環境、生活は全員バラバラですよねつまり価値観が違っても何らおかしくないのは分かりますね。しかし、人は自分が置かれた状況が他人のすべてにも当てはまる前提で議論や指導が行われることがほとんどです。なぜなら自分が一度身に付けた値観観というのはなかなか変えられないからそういうことになりがちなのです。まずは一度自分の価値観を疑うことかはじめるのが考える第一歩と思います。
決して自分の価値観を否定するということではなく考えるときにいったん自分の価値観をなくしてフラットに考えていこうを言う意味です。考える際は自分の価値観が正解とか相手の価値観が不正解とかそういう思考がそもそも考えることのおおきな障害となっていることを意識しましょう。
最後に深海魚とトビウオのお話をしていこうと思っています。
これは何か新しい知識を学ぶために海に飛び込んだことを想像してほしいと思います。飛び込むとそこで新しい基礎知識をしばらく学ぶことになるのはどこの分野でも同じことです。そこからある程度要領を覚えて、時間がたつにつれて成績を残していくことができるようになっていくと思います。大事なのはここからです。会社でのたとえ話でいくとある程度知識をつけると中堅社員くらいの立ち位置と仮定します。そのときじぶんで身に付けた知識経験をいったんリセットして、再構成し新たな大陸を探しにいくトビウオとなるか、逆に今まで身に付けた知識をさらに深堀しその企業でお偉いさんのポジションにつく深海魚となるかわかれるということです。これはどちらの方がいいとかいう話ではありません、考えるとは常に自分が持っている知識を疑い新しいものを吸収していくことでこの例でいうトビウオのことをあらわしているということです。
今日は三本立てで書きました。今日の文章をまとめると考えるとはまず自分の価値観を疑い、相手のこともうけいれてみることである。こいつ何言ってんだとおもってもどういうこと考えたらこう思うんだろうとか、こんな環境だとこうなのかなとかいろいろ想像するだけでも考えることにほかのひとよりいっぽも二歩も先を進んでいます。
うんじゃ、またこんども考える練習の続き書いていくのでよろしく
今日も元気に考えていこう!!